方丈記の「無常観」について

 ネット・サーフィンをしていたら、学校の宿題で、『方丈記』の無常観について出題されたという。『方丈記』と『徒然草』の「無常」の違いについてレポートするらしい。いやはや、小難しい宿題である。出題している先生は、「無常」について、きちんと理解して出題しているのだろうか?!

 「無常」には、「無常感」と「無常観」の2種類がある。「ああ、無常だなぁ」と感じるのは、「無常感」である。それに対して、「無常」を「観想」しようというのが、「無常観」である。正確に言えば「無常観想」である。『方丈記』は、無常を「観想」しているから、「無常感」ではなく「無常観」である。

 美しい花を見て、その花がやがてしおれて枯れていく姿を、心で「観想」する。同様、若くて美しい女性を見て、やがて老いさらばえてく姿を「観想」して、若くて美しい女性を見て涙する。これが「無常観」である。無常観は仏教の修行の一貫であり、「無常感」はただの感情の発露である。「無常観想」に感情の発露はない。

 『方丈記』において、作者は「行く川の流れ」を見て、世の無常を感じ取り、たたずむ。決して「無常だなぁ」と感じ取っているのではなく、「無常」を観想し、その無常を前にしてたたずむのである。

 学校の先生は、この「無常観」と「無常感」の違いをきちんと教えられるのだろうか。もちろん、『平家物語』も「無常感」ではなく、「無常」を「観想」するものなのである。学校の先生も、いい加減な宿題を出すものである。

■蓮胤の「方丈記」論_関係記事一覧 https://kiyosige.at.webry.info/201909/article_8.html


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 1)『平家物語』と「鐘の音」   http://kiyosige.at.webry.info/201003/article_17.html 

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