方丈記について、最近考えていること。

 大学の卒論の話をしていて、その学生さんは小野小町を卒論にするという。「ん~。」 何をテーマにしても個人の自由であるが、いまさら「小野小町」?! どこをどうほじくっても、何も「自説」は出て来まい。高校生の課題レポートなら定説をなぞれば高得点だろうが、それでは大学の「研究」になるまい。「自説」がない卒論では、卒論に値しまい。

 国文学、日本文学はすでに研究し尽くされて、もはや研究テーマはないのかと思う。最近の歴史学の研究はめざましく、それまで定説となっていたことが覆され、歴史が書き換えられている。対し、国文学、日本文学。学問の性格上、文献史料でしか研究が進まないのは仕方がないとしても、学問が停滞し、高校生の頃に習った定説が覆されるようなことは何一つない。

 さて、私のブログ「『方丈記』は「随筆」ではない。 http://kiyosige.at.webry.info/200901/article_2.html 」に「あいうえお」さんのコメントを頂く。はじめてのリアクション、建設的なご意見である。「随筆でないと思った根拠」は、すでに書き散らかしていたので、リンクを張ることにした。リンクを見て、ご意見をいただければ幸いである。

 さて、私が「最近考えていること」は、浄土宗の開祖法然(長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))と方丈記の作者「蓮胤(俗名:鴨 長明、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は同時代人であり、お互いに「大原」に住居していたことは明らかであり、歴史的事実である。したがって「蓮胤」は、法然の(専修念仏の)布教活動に触れて、「傍に舌根をやとひて、不請の阿弥陀佛、兩三遍申して止みぬ」という「(浄土教の)悟りの境地」に至ったのではないか。

 「蓮胤」は法然の「専修念仏」の影響を受けて、『方丈記』の「悟りの境地」に至ったのではないかと、法然と「蓮胤」の関係性について関心を持っている。二人の直接の関係性が証明できれば、<定説>は覆り、学問は一歩前進する。ただ残念なことに、二人の関連性、直接の接触を証明する文献史料は皆無であり、その証明は困難である。

 法然の弟子に、「蓮胤」が隠棲した「日野」の地ゆかりの日野氏がいる。浄土真宗の開祖親鸞が日野氏の出である。同じ日野氏であり、法然の弟子である「禅寂」は、「蓮胤」を経済面で支えていたと言われている。しかし、同時代人の法然と「蓮胤」の直接の関連性を証明する文献資料はない。「点」はあるが、「線」にならない。これがないと、蓮胤の法然流の浄土教(専修念仏)の影響が見えて来ない。

 ①「蓮胤」が大原に隠棲していた時代の、(法然の)大原の「別所(=仏教寺院の本拠地を離れた所に営まれた宗教施設。聖とよばれる僧侶が寺院周辺などに集まって修行するために庵や仏堂を設けた場所。)」の様子、法然流の「専修念仏」の布教状況に興味関心を抱き、「蓮胤」を日本思想史の上に位置づけられないものか、あれこれ思案検討を試みる。

 ②跋文に「時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。」とあるように、建暦2年(1212)年に『方丈記』成立ならば、1188年(異説あり)の法然の「大原問答」を知らないはずはない。「たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。」に「不請の念佛」とあるように、日本浄土教の中に『方丈記』を位置づけたい。

 「蓮胤」の出家に、①法然の影響とともに、②「大原談義」の影響を見て取れないかと思わざるを得ない。

 また、③念仏に「観想念仏」と「称名念仏」とがあるが、「たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。」の「不請の念佛」をいずれの「念仏」とするか。法然流の浄土教(専修念仏)と考え、天台浄土教からの「回心」を見、「観想念仏」ではない、「称名念仏」、法然流の「専修念仏」であると捉えたい。

 まずは基本。『方丈記』は法然の『選択本願念仏集』や道元の『正法眼蔵』と同じ「法語(文学)」であり、「随筆」と考えない。これが大前提である。

■蓮胤の「方丈記」論_関係記事一覧 https://kiyosige.at.webry.info/201909/article_8.html

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この記事へのコメント

通信の仙人
2017年09月01日 16:22
朝日カルチャーセンター新宿教室における小峯和明氏(立教大学名誉教授)の講座「方丈記」と「発心集」の講座内容。以下、引用。

鎌倉時代の1212年に書かれた鴨長明(蓮胤)の『方丈記』は今日、日本の古典を代表する随筆文学とみなされていますが、その数年後の長明最晩年に編述された仏教説話集の『発心集』の存在もまた見のがせない意義を持っています。この二つの作品は密接な関連性があり、『発心集』から『方丈記』を読み直すことで、『方丈記』が単なる随筆ではない、高度な宗教文学であることが見えてくるでしょう。ここでは、人間の生と死にまつわる〈心〉を深く探究した『発心集』の説話世界を読み解くことで、『方丈記』の本質を逆照射していきたいと思います。(講師・記)

小峯和明氏の研究に倣えば、点と点を「線」に繋ぐことが可能であろう。仏教説話集『発心集』が法然流の「専修念仏」であるならば、当然、同時期に成立した『方丈記』も日本浄土教の流れの中で理解するのが自然であろう。当然、『方丈記』を「随筆」といい、「三大随筆」と並べることは間違いとなろう。

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