【夏休みの個人研究】万葉学者も間違える、古典の誤訳。

 熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎ出でな

 まず、不思議なことは、羅針盤もなく、航海術も未熟な時代に、なぜ月の出る「夜」にわざわざ船出をするのか。

 『土佐日記』では、航海は「昼間」にするものであり、必ず陸地を確認しながらの航海であった。『土佐日記』の冒頭「門出」、「十二日に、和泉の国までと平らかに願立つ。」とある。土佐国から和泉国までの船路が話題になっている。かの鑑真和上は3度航海を試みて、2度失敗し、失明までしてしまった。当然、羅針盤のない時代、未熟な航海術では、陸地を確認できない「夜」の船出はかなり危険を伴う航海であったろう。一番の謎は、遭難の危険のある「夜の船出」である。なぜ、船出するために、「月を待っていた」のか、である。

 潮の干満が月と関係があることは誰も異存はないだろう。しかし、この和歌の「潮もかないぬ」を「潮が満ちてきた」と口語訳して良いのだろうか。つまり、「潮もかないぬ」を「満潮になった」と解釈して良いのかということである。

 『平家物語』の中に「逆艪」の話が出てくる。この場面で、潮の流れが変わる。そして、最初は義経の源氏軍が劣勢だったのが、やがて「潮の流れが変わって」源氏軍が勝利したという話である。

 この話が示すように、潮には「満潮」「干潮」とは別に、「満ち潮」と「引き潮」があることがわかる。

 「満ち潮」とは海から港に流れ込んでいく「潮」であり、「引き潮」とは港から海に向かって流れていく「潮」である。潮干狩の経験があれば、よく思い至ると思うが、「干潮」から「満潮」になる時の「潮」が「満ち潮」であり、逆に、「満潮」から「干潮」になっていく時が「引き潮」である。 

 今は、動力船の時代であるから、「満ち潮」であろうが「引き潮」であろうが、船の航行に問題はないが、人力がその動力の舟であれば「引き潮」と「満ち潮」では大違いである。「満ち潮」の時の船出は困難である。人力の舟が船出するためには、「引き潮」でなければ船出は不可能だ。だから、「潮」を待たなければならないのである。まさに、『平家物語』の「逆艪」がそれを実証しているだろう。

 さて、『万葉集』の「潮もかないぬ」である。この「潮」を月との関係から「干潮」「満潮」の「潮が満ちてきた」「満潮になった」という解釈で良いのかということである。

 結論は、この「潮」は「干潮」「満潮」の「満潮」ではなく、「満ち潮」「引き潮」の「引き潮」である。

 さて、世に実にたくさんの『万葉集』の口語訳がある、この結論で、このたくさんある口語訳を見回して見ると、さて、正しく「引き潮」を理解して訳せているものが、どれだけあるだろうか。万葉集の大学者も、「引き潮」であることを理解している、正しく訳せているものは少ない。



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 1)『平家物語』と「鐘の音」   http://kiyosige.at.webry.info/201003/article_17.html  

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