職場の不祥事研修を受ける。

職場のわいせつ・セクハラ不祥事研修を受ける。まず、被害者の立場で考えようと、被害者とそれに関係する人々のことを考えよ、という。建前としては、まず「被害者の立場」だろうが、ホントウに不祥事をなくそうと思っているのならば、「建前」ではなく、「情動」「感情」に訴えなければ、不祥事は根絶しない。

「故郷(くに)のおっかさんは、どう思っているのだろうか」と言って、「カツ丼を食え」と差し出す。「情動」に訴えれば、閉ざした心も開くもの。

建前は「被害者」からだけど、心の変容を起こさせるためには、「(自分の)家族」にどれだけ影響を与えるのか、を訴えて、変容を促すべきであろう。

ケーススタディとして、具体的に「事例」を紹介するが、確かに、「事例」を紹介することで、こういうことは「起こってはいけないこと」と考えさせるネタだろう。しかし、次々と「事例」が紹介されて、紹介される「事例」を聞いていて、気分が悪くなった。多くのセクハラ・わいせつ事案は、「男性」によるもの。同じ「男性」として、聞いていて「男性」の自分でも、気分が悪くなった。いずれも、「不快な事案」ばかりである。加害者側の「男性」でも気分が悪くなる「不快な事案」を、被害者側に立つことが多い「女性」に、生々しく語ったり、「不祥事研修」を受講させるのか、と思った。「不快に」思わさせることが、不祥事の歯止めになると、研修側は考えているのだろうか。しかし、「不快」と思わないところが、「ビョーキ」であるし、「不快」に思わないような人には、心に響かないし、行動変容は起こらない。

「紹介される事案」は、「不快な事案」と述べたが、いずれも「加害者」は、「ビョーキ」である。頭の中で「妄想」することは、「不祥事」と問われない。「妄想」は、各人自由である。しかし、それが「妄想」で踏み留まらず、頭の中の「妄想」を「行動」に起こしてしまうのが、「ビョーキ」である。「ビョーキ」は、そもそも治らない。治らないから「ビョーキ」なのである。不祥事の加害者は、「ビョーキ」である。

不祥事を本気で隠すならば、心理テストなり、心理検査なりで、「ビョーキ」の人をあぶり出すことである。「不祥事」が起こる前に、早期発見である。「ビョーキ」の者を、早期発見することが、不祥事撲滅の方策である。

また、不祥事に伴う、管理者による監督責任も問われている。「隣組」や「密告制度」ではないが、周囲の者が「不祥事」に成る前に、早期発見、未然に防ぐことである。

監督者の部下で、覚醒剤使用の部下が発見された、そういう事件、記事がある。思うのは、何故、不祥事になる前に、「管理者」が発見しなかったのか、と重う。周囲の者は、予兆、気配を何故察知しなかったのかと重う。やはり、こういう「節穴の管理者」は、自分の居室に籠もって出て来ない、自分の部下が何をやっているのか、誰がどういう「仕事」をやっているのか、全く分からない「監督者」である。自分の部下が、何をやっているのか、だれが、どういう「仕事」をやっているのか、分かっていないから、自分の部下の「不祥事」が起こる。当然、「監督能力」の低い「監督者」だから、「不祥事」が起こるし、「監督責任」が問われる。「不祥事」は、起きるべくして起きる。

一方で、それぞれの居室に、特にようもなく、ぶらっとやってきて、雑談をする「管理者」がいる。約束もなく、別段の用事もなく、ぶらっとやってきて、たわいいもない「雑談」をする。しかし、そうした「雑談」が、部下とのコミュニケーションとなり、また、部下が何をやっているのか、だれが、どのような「仕事」をやっているのか、観察、把握、感じ取っている「管理者」は、怖い。「管理者」、自分の目で、「不祥事」を未然に防ぐ、「不要時」の芽を摘むことになる。「不祥事研修」も、それが「ビョーキ」の者に行動変容起こさせるも、管理者の行動次第である。

不祥事研修を受けながら、本気で、「不祥事」を防ぐ気なのか。そして、「不祥事」を未然に防ぐ手を打っているのか、考えた。

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