「パワハラ」騒動に思う。

 今日も、注目は「体操協会のお家騒動」。東京五輪で期待される、有望選手のコーチが「無期限登録抹消処分」。今、現在、故障もあるようだが、危険を伴う体操競技故に練習が全く出来ない状態。それ以上に、東京五輪での「金メダル」を目標としている有望選手が、コーチ不在で精神的ダメージを受けている。その精神的ダメージから、有望ではあるが、まだ若く、国際大会の「実績」経験」が必要なのに、今年、2018年の競技会、代表選手のために合宿等々への不参加を決めているという。

 なんという不始末。「卓球」や「バドミントン」の若い選手の躍進は、東京五輪への期待が高まる。今日の、陸上400mリレーの金メダル。それぞれ、アスリートの活躍が目覚ましい。

 ところが、体操団体女子。男子選手の内村航平選手は、心配された故障から「復活」した。故障していても、指導者がついていれば、体操競技は「復活」出来る。しかし、練習が出来ない「遅れ」は、いかんともしがたい。「体操協会」は、「ドン(女帝)」の「パワハラ」について、全く知らなかったはずはあるまい。噂の一つや二つ、あるいは、他の指導者から耳に伝わってくる「事実」があったのではないか。発言如何では、体操協会は、「無責任」の「責任」が問われよう。

 TVでの「私はパワハラだとは思っていない。通常の指導だと思って居る」は通らない。「セクハラ」も「パワハラ」も、当事者が「セクハラ」「パワハラ」と感じた時点で、「セクハラ」「パワハラ」なんだから。構図は、「いじめ」である。「私はいじめだと思っていなかった」「いじめの認識はなかった」。残念ながら、「パワハラだと思っていない」「パワハラの認識はなっかた」じゃないだろう。その言い分、言い訳は通用しない。勿論、「〈法律の条文にないから〉犯罪ではない」では済まない。今回は、選手生命が脅かされているわけだから、「普通の指導」はではないだろう。まして、コーチでもなんでもなく、「指導」したとは、なんという思い上がりか。

 今、TVで「体操協会のお家騒動」の論点整理を見ながら、ふと思うのは、同時進行中の「自民党の総裁選」。現職首相の、対立候補への「パワハラ」というか、「いじめ」。酷いもんだね。どうせ投票兼はないが、「総裁選の行方」は、国民、庶民は見ている。「選挙戦略」と「選挙妨害」は別である。あまりに酷い囲い込み、引き締め、言いがかりは、かえってマイナスであると知るべき。「フェア」であることを、「公正」「公平」と言うんだけど。「公正」「公平」を言うなというのは、自ら認めていると語っているし、「もりかけ問題を持ち出すな」というのも、都合の悪いことだと言っているようなものだし、「徹底的に調査し、膿を出し切る(※国民は忘れていない。)」と言っていたけど、何一つ、膿が出ていない。いつ、「膿」を出すのだろうか。こういうのを、「嘘つき」というんだが、何で自民党議員は「嘘つき」を首相にしたいのだろうか。

 「パワハラ」について、今、二つの「事例」を見ている。「パワハラ」って、「いじめ」と同じ構図だということがよく分かる。「いじめ」をなくそうたって、なくならない。日本は「フェアである社会」であって欲しい思う。

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